2011年7月17日日曜日

このブログの今後について


ゴブサタしております。
このまる4ヶ月ブログを放置しておりました。
とりあえず、なんとかやってます。

ご周知の通り、この間、たくさんの色々なことがありました。
日本では根拠のない節電令でたくさんの犠牲者が出ておりますし、
もんじゅの落下装置引き上げもみんなの寝た深夜にやって、
電力会社はコソコソと原発再開のためのやらせメールなり、さくらを使ったりと、
でもそれらは大ニュースであるはずなのにぜんぜんニュースでやらないとか、
言い出したらきりがない残念なことが多すぎますね。

今回はこれからのこのブログの話。
実は震災後、JICA本部からのお達しで「活動を含む、すべてのブログ記事の更新を控えるように」と
”自粛”の”強制”がありました。
自粛を強制したら自粛じゃないじゃん、というのはさておき。
つまり、被災された方々や現在の日本の状況を考慮しなさい、と。

ぼくがこのブログを立ち上げようと思ったのは「きれいな風景を届けたい」が第一だったので
これまでも活動については全然記事を書いてませんでした。
パプアニューギニアについてネットで得られる情報は「危ない国」というのがほとんどで、
かくいうぼくもその一人で、派遣前は辞退しよう悩んだほどでした。
けど実際に来てみるときれいな風景がたくさんあって、
勝手にイメージアップ大作戦を繰り広げて来たわけであります。

ただ、このブログを振り返ってみてみると、見る人が見れば
「コイツ、ただ遊んでるだけじゃん。全然隊員として活動してないじゃん」
という印象を持たれるでしょう。
えぇ、ごもっともです。その通りだと思います。そのように見えると思います。
いまはこれまで以上にギスギスした狭っくるしい回路の思考になりやすい状況ですから
そういう印象を持たれても仕方ないと思います。

ぼくらがどんな生活環境で暮らしているかなんて、来ないとわからないだろうし、
お店にいけばいつでも安定して物が買える状況下にあってもなお、”文句が思いつくような人”に限って「人の税金を使って何を!」とお思いでしょう。
そんな人にどんな気持ちで今僕らが活動してるかなんて想像もつかないでしょう。
もともと相手に対する想像力に乏しい人たちでしょうから。

念のため、言っておきますが、活動はしてます。
ただ、”活動を記事にすること”に興味がないだけです。
なんていうと負け犬の遠吠えみたいね。


そういうわけで、ぼくがこのブログを更新する意味もいまや見出せないわけで、
書けば書くほど反感を招きかねないので、しばらく更新しません。




日本が、いつの日か、またみんな心にゆとりをもって暮らせるような国になることを祈るばかりです。




さよなら

2011年3月16日水曜日

復旧作業

Laundryの清掃作業にあたる職員


続いてます。

幸い、大きな犠牲も出さずに済んでおりますが
ただでさえ少ない薬も多くを捨てねばなりません。

津波で流され使えなくなったアンプル


日本大使館の草の根支援プログラムで寄付された
機材もほぼすべて故障し、昨日は大使館への報告書を書いてました。

適切な医療サービスを提供できない、とし対象外となった患者・家族は退院を命ぜられます。

瓦礫を横目に退院する患者・家族

調理器具も壊滅状態。
患者食を用意できず、薪を焚きご飯を用意してます。
でもやっぱり全然足りない、という状態。



そんな中、地元企業・団体からから今日も寄付がありました。

食料品を寄付したNGIP Agmark Ltd.

それは
・炊きたてご飯(今日の分)
・暖かいスープ(今日の分)
・野菜(今日の分)
・米60kg
・コンビーフ3ダース
・砂糖10kg
・インスタント麺6ダース
・ビスケット3ダース
・ピーナッツバター2ダース
・紅茶一箱
・冷蔵庫2台
・ガスレンジ2台
・大鍋沢山
・シーツ沢山

などなど。
まさに”啐啄同時”

調理用品などを寄付したSEPIK IRONMEN

こうしてビッグマンたちがつながり、
そのおかげで患者さんが温かいごはんを食べられるのもまたひとつ。
非常に感慨深い一面を見ました。

例の災害対策本部での仕事ですが
専ら広報というかこういった写真撮影とか
毎日の進行状況のレポート作成とかになってます。
いつもは16時前に帰っていたのが
これが始まってからは19時帰りです。
非常に疲れますが、達成感があるのもまた事実。


日本の被害状況もどんどん明るみになってますが
まずは募金を。
そして、わかる範囲で正確かつ生活に有益な情報を被災地に流してます。
あとは見送ってくれた多くの友達・元同僚のために
元気な姿で任期を全うして再会するのが一番かなと思ってます。

2011年3月15日火曜日

思いのほか

Laundry
配属先の状態が悪かった。

ジェネレーターが浸水して故障した上に、
配電盤にも浸水しショートして完全な停電が起こった。
そのために患者さんが亡くなったとのこと。
火災が起こらなかったのは幸いだったが。
現在は送電線から直接病院に電気をつないでいるが、
ただでさえ不安定なPNG Powerだから、
またいつ停電が起こってしまうかわからない。
電源のバックアップがない以上、停電が起こればまた状況は悪くなる。


多くのセクションがダメージを受け、産科婦人科および外科病棟を除いて閉鎖となった。
復旧の目処はたっていない。
数週間とも場合によっては数ヶ月になるとのこと。
そのため多くの患者さんが強制退院となるほか今後も医療サービスを提供できないこととなった。

そんな中、医療スタッフのボスであるDMS(Director Medical Service)とCEOの判断で、医師を遠隔地である東セピック州内のDistrict Hospital(Dagwa,Maprik,Angoramなど)へ派遣する、という計画が持ち上がった。
まだはっきりとは判らないが、理学療法士もこれと一緒に遠隔地へ派遣されるかもしれない。
明日の朝9時から州保健局の方々と病院幹部で話合いが持たれる予定。

地元企業からも多くのドネーションがあるらしい。
昨日もコンビーフ大手から大量の寄付があったとのこと。
患者さんの胃袋を支える病院のキッチンも破壊されたため
このコンビーフが避難した患者さんのお腹を満たしたとのこと。
今日もたくさんのドナーがやってきていた。


ただ、悲しいかな、やはり火事場泥棒はいるようで
病院の食糧備蓄庫から大量に米や缶詰が盗まれたらしい。
近くにオフィスがある同任地隊員の配属先でもエアコンなど色々盗難にあっている。

私は、といえば、何故か「災害対策本部」の3名のうちの1名にまわされ、
電話の対応や写真撮影などをし、
政府への被害レポートの作成の手伝いをすることになった(もちろん雑用も)。
実際、昨日アップした写真などもそのレポートに使用され
ゆくゆくはソマレ首相にも目にすることになるらしい。
もともと活動もぱっとしていなかったため、
いよいよもって何隊員かわからなくなってきた。


日本では友人の安否が次々確認できているが、
やっぱりまだ確認とれてないほうが多い。
安否が確認できても、食料もない、ライフラインもない中
5日目を迎える被災者も数十万人いる。

今、ここからできることはほとんどないけど
国内積立金を細く、長く、送ることにした。

2011年3月13日日曜日

Tsunami effect in Papua New Guinea

ご周知の通り、日本時間3月11日、M8.89.0 震度7の地震が日本を襲いました。
地震による倒壊、土砂崩れだけでなく、火災や津波などの被害が非常に大きく
福島県では原発の冷却装置故障による大きなトラブルもあり、
限られた情報のなかで次第に明るみになる事実にただただ驚かずにはいられません。

任地ウェワク市(パプアニューギニア)でも津波の被害が現地時間3月12日午前2時ころありました。
Tsunami swiped around Wewak General Hospital at 2 am on 12.Mar.

腰ぐらいまでの高さであったそうです。私はJICA PNG事務所の指示で事前に高台の同任地隊員宅へ非難しており、リアルタイムでの被害状況はわかりませんでしたが、昼過ぎに自宅へ帰ってきた際にこれらの光景を目の当たりにしました。
すべての病棟の患者もすでに非難が完了していましたが、内科処置が必要だったり、重篤な状況の患者さん方がどうなっているのか情報がない状態です。
カウンターパートとは連絡がとれましたが、おそらく出身地のほうでも津波の被害があったのか電話で話すことができませんでした。

日本をはじめ、世界各地で被災された方々のいち早い復興と
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

in front of boiler room

carpenter workshop

carpenter workshop

dispensary room Cholera Unit
Ration store room


nobody at a ward. all patients have gone to escape. 

2011年2月19日土曜日

すすぎの仕上げはスコールで。


ここ3週間、毎週土曜日正午は雨。
この曜日に洗濯をする僕には致命的。
朝、洗濯物を干して、帰って来たらずぶ濡れ。

ただ、雨水タンクの水でいつも洗濯をしてるので
仕上げにフレッシュな降りたて雨水ですすぎをしてるのかと思えば
それもまたそれでいいもんだ。

Wewak snaps_4


パンチの利き方、ハンパ無い。
いや、彼が撮ってくれって言ったんです。


先日、かかって来た電話の相手。
いかに僕の頭が悪いのかを自覚するに十分な話し方だった。
そう思わないわけにはいかなかった。
そういう種類の喋り方だった。

Wewak snaps_3


いやぁ、こういうおっかちゃん好きです。

ぜひ、定食屋を開いて、貧乏学生に山盛りご飯を盛ってほしい。
そしてたまに気遣って、「あんた、最近田舎に帰ってるの!?」
とか聞いてほしい。

2011年2月13日日曜日

Wewak snaps_2


去年末に主力にしてた標準ズームレンズがカビを生やしまして
先日、新しいレンズを投入したわけですが、これがまた酷い後ピンで。。。
f5.6くらいまで絞るとすごいキリリとした描写になるから
好きなんですけども、やっぱり撮影中はすごい気を使います。
というのも、後ピンなので撮影方法に一工夫こらします。

構える→構図をある程度決める→ちょっと上半身を前に出す→
ピントを合わせる(AF)→カラダを20cmくらい引く→最終的な構図を決める→レリーズ。

どう考えても効率が悪いのですが、後ピンだから!と
文句を言っていても仕方ありません。
調整してくれる業者なんてここにゃおりませんから。
なので、たくさんたくさん一気にスナップを撮ってると
横から見るとまるでハトみたいに首を前後してるはずですw


今日はセピック川流域の生活を撮影にいらした
フリーランスの写真家さんとお食事しました。
その中でインドでの撮影した写真を見せていただいたのですが
いやぁ、、、生なましくて好きでした。
テーマとしても、宗教とはまた別の、人々の生活を撮影しておられたそうなのですが
そこがまた本当に面白かった。
100枚くらいを印刷して持ってきておられたのですが
その最後にあった写真、好きだなぁーって思ってたら
個展開いたときのポスターに使われてました。

やっぱり、人の写真をみるのはいい刺激です。
自分に足りないものがぐわーーー!って見えてきます。

もっともっと広い視野で撮らないといけないことがわかりました。
「広い視野・絞ったテーマ」です。
こういうスナップばかり撮ってちゃいかんなぁ。
でもスナップも好きだなぁ。その人の個性がぴたっと出て。

広角・パンフォーカスでしっかりとその場の雰囲気を収めたいです。
テーマはもちろん”フォーカス”ともいえるので
テーマが無い写真は無論、ボケボケな何を言いたいわからん写真になります。

早くテーマを見つけてがしがし撮っていきたいわ。
じゃないと、ただの観光写真になってしまう。。。
(”観光”がテーマであればそれはそれでテーマですが)

Wewak snaps_1


普段、この街をカメラを持って歩くことは自殺行為に等しいのですが。。。

帰国直前のT隊員の粋な計らいで、
「知り合いの現地人をボディガードとして同行するから
一緒に写真を撮らないですか~?」と。
まさに神の光!

本当は街並みを撮るはずだったんですが
「俺を撮ってくれ!」
「いや、俺が先だ!」
「俺も俺も!」
っとごった返して街角大スナップ大会に。

PNGのMangiは写真を撮ってもらうのが大好き。
女子は反対に恥ずかしがるひとが多いかも。。。

みなさんご存知「パラダイス」でも男の写真ばかり撮ってるので
女子も撮りたいなー。

2011年2月6日日曜日

Fly Away




ずわー!どんぴしゃ。

なかなかどうして


こうも絵になるんでしょうね。
ずるい、ずるすぎる。

Flood Crisis




ケアンズ滞在中(7.Jan -> 16.Jan)はニュースはずっと洪水の話題で持ち切りでした。
クイーンズランド州にやってきたその洪水は
ぼくらが到着したときにはさほど影響を感じられなかったのですが
帰るころにはスーパーから徐々に食材が消えていくほどでした。
終いには写真のようにもぬけの殻。

今はサイクロンの被害もあるんだろうか。
クイーンズランド州の一刻も早い復興を祈るばかりです。

幸福な朝食


ケアンズ滞在中は料理ができるようにコンドミニアムに。
本当は念願のサブウェイを食べる予定だったのですが
自分たちでつくるサンドがあまりにも美味しくて
滞在中一度もサブウェイに行く事はありませんでした。

「幸福な朝食」とくれば、「退屈な夕食」ですが
実際には夕食も幸福でした。

Jet stream




飛行機から見るセピック川。
朝6時に朝焼けとともに見るこの川は
眠気もぶっ飛ぶくらい綺麗でした。

実は年明け7日から隣国オーストラリアのケアンズへ
任国外旅行に行って参りました。
いやはや、先進国というところはすばらしいですね。
夜にカメラをもって一人で外を歩けるなんて
涙がでそうでしたよ。

猫来る。




最近うちに猫が居座りはじめました。
名前は「マスキィ」。
現地語で「忘れる」という意味です。
そもそもこの猫は僕の前任の方が飼っていた猫だそうで
任期終了後は隣の家のトーマスさんが飼っていました。

先日の院長の座を巡る抗争に巻き込まれたトーマスさん一家。
襲撃があったために離島に避難しておりまして
その間、4匹の子犬とこの猫にエサを与えていたらすっかりなついてしまって。

あれ、舌でてますよ?

ムシュ島




私の住む街、ウェワクからモーターボートで2時間くらいの所にある島。
時間をみつけては同任地隊員や他任地から来た隊員に同行させてもらってるのですが、
行く度にほんとに癒される。

この時間の流れを一度味わってしまうと
せわしない日本の時間感覚に戻れるかどうか不安になってしまう。

かぼちゃやタロイモ、バナナ、カウカウのココナッツミルク煮は
日本では絶対に食べられない絶品。
ときにはぷりっぷりのロブスターも一緒だったりする。

最近ではダイビングとサーフィンの方にも力を入れ始めたらしい。
この国には観光資源があってもうまく活かせてないことが多いから
どんどんアピールしていってほしいわ。

プチリフォーム




先日、寝室の窓に金網が、ドアに鍵が付きました。
ここ最近強盗や空き巣の目立つウェワク市。
そして病院の院長の権力争いで荒れる職員住宅敷地内。
「権力争い」で済めば良いのですが、
残念ながら本当に敵対医師の住宅を午前3時に襲撃してしまう有様。

これで安心して寝られるってもんです。

井戸掘り




私の住む街の隣にMapricという街があるのですが
そのすぐ近くのPatiko村というところで
いま、JICAの支援で井戸掘りをしています。
ひょんなきっかけからその様子を取材する機会をいただいて
ドキュメンタリービデオを作りました。

撮影機材はNikon D90でして、この動画撮影機能を使い
iMovieで編集したと、いうわけです。
ナレーションはぼくが直接吹き込んで、恥ずかしいったらありゃしない。

この話を頂いた調整員さんの計らいで、政府関係者のプレゼンにも使っていただき
好評をいただけたそうです。ほっ。

パプアニューギニアの男達が本気を出して力仕事をする様は
本当に頼もしかったです。
もともと筋肉質の恵まれた身体をいかんなく発揮しておりました。
第一に、この国の男達が一心不乱に仕事をする、という事自体が珍しく、
ファインダー越しに見た姿に驚きっぱなしでした。

何キロも歩かないと水が手に入らないその土地に、
去年末にやっとこの井戸から澄んだ水がでるようになりました。
今もきれいな水でタロイモゆでてるのかなぁ。

ご無沙汰しております。




あー、気付いたら更新が2ヶ月も滞ってました。
ご心配していただいた方、申し訳ありません、生きていました。
もっとも、元気がなかったのは確かですが。

ぼくはいままで、人と関わるときにあまり自己を主張しないように生きてきました。
それはあるときには有益でしたし、あるときには何も生みませんでした。
そしていつのまにか何も考えられない人になってしまいました。
「あたりさわりのない」「それなりの」ことしかできてないんじゃないか、
今思えばそう感じます。

人に嫌われようが、敵を作ろうが、エゴを持ち、それを通せる部分を持ち合わせたいです。